GMTマスター2がスーツスタイルを過不足なく引き立てる
文=長谷川 剛
時計好きに「あなたの時計、見せてください」と依頼するこの企画。今回はスーツスタイルもバシッと決まったジェントルマンにインタビュー。村上祐太さんは、英国発の高級車として知られるベントレーの販売会社に勤めるセールススタッフ。ユニフォームの意味合いある自身のスーツスタイルを引き立てる小物として、腕時計は欠かせない存在だと語る。
日常的にスーツを着る
「本格時計に興味を持ち始めたのは30歳くらい。ベントレーに携わりスーツを日常的に着るようになったことが、ひとつの切っ掛けと言えるでしょう。扱うアイテムが高額の商材ですので、身に着けるウエアにもそれなりに気を遣います。営業マンとして欠かせないツールであるスーツにこだわるうちに、先輩からの助言や情報も重なって、自然に時計を探すようになりました」
同様の高級車販売スタッフのなかには“車より目立つ装いはNG”という人もいる。しかし村上さんが所属するベントレーチームは、スタッフの個性を重視するスタイル。キャラクターの強さも顧客にアピールする“営業力”になるということなのだろう。
「いろいろ見聞きしたなかで、まず自分が狙うべき時計はロレックスだと思いました。ブランドの知名度や格式も確かであるし、何より資産価値を備えています。売却しやすいアイテムであるのも大きな魅力です。自分のチームではすでにサブマリーナーやヨットマスターの愛用者がいましたので、被らない方向でGMTマスターに目星をつけました」
当初は資産価値という側面に注目し、金無垢の『オイスター パーペチュアル デイデイト』に手を伸ばした村上さん。しかしオンのスーツスタイルに使いやすいスペックかつスポーティな要素も欲しいということで、早々に売却し、熟考の末『GMTマスター2』に落ち着いたのだそう。
「購入時はペプシモデルと迷いました。しかしショップで現物を見たときに、赤×青のカラーリングやはり少しカジュアルな印象でした。ですので、落ち着いたルックスのルートビアを最終的に選ぶことに。もともとブラウンは好みのカラーですので、コーディネート的にも悪くないなと。ただ、ルートビアのお陰で茶系の服を買うことが、かなり増えました(笑)」
着こなしはジェントルマンスタイル
そんな村上さんの取材時の装いは、ブラウンベースとなるストライプスーツの着こなし。申し分なくジャストサイズであり、聞けばオーダーメイドにて仕立てた一着とのこと。一見さり気ない着こなしだが、タブカラーシャツにビンテージ調のプリントタイなど、実にベントレーに相応しいジェントルマンスタイルだ。
「GMTマスターは非常に着け心地も良くて気に入っています。あと、ルックス的にも存在感を持ちながら、目立ちすぎず適度にオーソドックスというバランス感も最高です。やはりオンタイムに着けるとなると、過剰なアイテムは避けねばなりません。場合によってはロレックスではなく、以前から所有しているアップルウォッチにて出向く場合も少なくありません。と言いますか、初対面のお客様にお会いする場合は、ほぼアップルウォッチですね(笑)」
そもそも時計はステイタスアイテムの側面があることから、仕事時の着用には色々と気を付けていると語る村上さん。しかし、逆に気心知れたカスタマーとの場合は、ロレックススタイルのほうがリレーションも深まる場合もあるとのこと。
「実はルートビアの後に、バットマンも手に入れているんです。とあるお客様との時計トークの際に、会話が広がり青黒GMTマスター2の売却を考えているという方向に発展したんです。そしてやり取りの末、僕の手許に来ることになりました。共通の趣味における話題が盛り上がると、やはり親密度もそれなりに上がるもの。ロレックスはそういった切っ掛けを作るアイテムだとも思っています」
青×黒のベゼルカラーかつSS製のバットマンは、茶×黒コンビのルートビアに比べて若々しく溌溂とした印象。スーツカラーの大定番であるネイビーなどのブルー系スーツスタイルのときは、バットマンを使用するのだとか。現在は、硬軟のカラー要素を踏まえた2つの『GMTマスター』に加え、アップルウォッチによる3本体制にて時計スタイルを楽しんでいる村上さん。この布陣で一定の満足感を得ているが、もう少し自身に貫録が備わったなら、スイスの雲上系にも手を出したいと付け加えた。
writer
長谷川剛
1969年東京都生まれ。エムパイヤスネークビルディングに所属し、『asAyan』の編集に携わる。その後(有)イーターに移籍し『asAyan』『メンズクラブ』などを編集。98年からフリー。『ホットドッグプレス』『ポパイ』等の制作に関わる。2001年トランスワールドジャパンに所属し雑誌『HYBRID』『Warp』の編集に携わる。02年フリーとなり、メンズのファッション記事、カタログ製作を中心とする編集ライターとして活動。04年、エディトリアルチーム「04(zeroyon)」を結成。19年、クリエイターオフィス「テーブルロック」に移籍。アパレル関係に加え時計方面の制作も本格化。