オメガ創業百周年記念の自動巻きクロノメーター、オメガ『センテナリー』
文=名畑政治
自動巻き高精度腕時計がスイスを世界一に押し上げた
1930~40年代、高精度腕時計のメーカーとして世界的な名声を獲得したオメガ。その立役者が、時計マニアならご存知の「30mmクロノメーター」だ。
なぜ「30mm」かというと、これが当時の腕時計の限界サイズであり、精度競争の舞台となった「天文台クロノメーター・コンクール」での腕時計部門の規定が「ムーブメント直径は30mm以内」だったから。そこでオメガは直径30mmの手巻きムーブメントの、いわゆる「30mmキャリバー」を開発し、これに特別調整を施したコンクール用時計を天文台に出品して好成績を上げる一方、その技術をフィードバックした市販モデル「30mmクロノメーター」を売り出すことで、高い評価を得たのだった。
ただ、無敵に思えた「30mmクロノメーター」にも、ひとつの弱点があった。それは「手巻き」であること。第2次世界大戦時、永世中立国として戦争に参加しなかったスイスは英米など連合軍だけでなく、敵対するドイツや日本にも時計を供給。その背後で着々と新技術の開発を進め、戦後、「自動巻き、日付、防水」(これに高精度を加えても良いだろう)という3つの機能を備えた腕時計を世界的に売出すことで、かつてのライバル・アメリカを蹴落として世界一の時計王国の地位を確立したのだ。
オメガも大戦時、英国軍に供給した軍用防水腕時計の技術を活用し、1948年に防水性に優れる『シーマスター』を発売し人気を獲得。しかし、これには自動巻き機構が搭載されていなかった。そこに登場したのが『シーマスター』と同じ1948年発表の『センテナリー』だ。このモデルはオメガの創業百周年記念モデル。「センテナリー(CENTENARY)」とはズバリ「百周年」という意味だ。
当然、これは当時のオメガの最上級モデルとして発売された。そこでケースはソリッドの18Kイエローゴールド製。それどころかダイアル自体も、そこに植え込まれたひし形と6時・12時のアラビア数字インデックス、立体的なオメガのエンブレム、おそらく針も、すべてが金無垢という超豪華仕様だった。
しかも、私が入手したのはメッシュのブレスレットまで18Kゴールド。まさにキンキラキンのウルトラ・ゴージャスなオメガだが、発売当時は通常のレザー・ストラップだったので、ブレスレットは前オーナーが装着した、いわば後付け。しかし社外品ではなくオメガの刻印が打たれた純正品だから、そのマッチングにはなんの違和感もない。
名品を格安で掘り出したサイレント・オークション
もちろん、『センテナリー』は最上級モデルとして公認クロノメーターの認証を受けていた。当時はまだ「COSC(コスク)」ではなく、その前身である「BO(べーオー)」(正式名称は『Association des Bureaux Suisses Controle Offisiel de la Marche des Chronometres』とあまりに長いので略して『Bureaux Offisiel』となり、さらに略してBOと呼ばれた)の検査をパスしたものだが、やがてこの百周年記念モデルをベースに『オートマチック・クロノメーター』というコレクションが誕生。さらにこれを元に1952年、全製品が公認クロノメーターという前代未聞の『コンステレーション』が登場し、オメガの名声を決定的なものとした。
ちなみに私が『センテナリー』を入手したのは、たしか1997年。バーゼル・フェアとジュネーブ・サロンの取材を終えた後、ジュネーブに留まり、オークションハウスの「アンティコルム」を取材した。その際、翌日に近隣のホテルでの公開オークションを控えたモンブラン通りの「アンティコルム」本社展示場に、時計がギッシリ詰め込まれたショーケースを見つけた。聞けばこれらの時計は、通常のオークションにかけるほどではないアイテムや、検査やメインテナンスが間に合わなかった新入荷品を並べて書面で入札金額を入れ、翌朝、これを開票して落札者を発表するという「サイレント・オークション」のケースだった。
私はそのおびただしい時計の中に、この『センテナリー』を発見し、見せてもらうことにした。ところがその状態の酷いこと! メッシュ・ブレスレットのすべての編み目には、前の持ち主の「垢」がビッシリ詰まっていて、まさに“入荷したて現状のまま”。もちろんケースにも引っかき傷があり、これだけ見たら誰もが「こんな汚い時計は欲しくない」と思うに違いない状態だった。
そこで当時、「アンティコルム」にいた日本人スタッフに「いくらぐらい入れておけば落ちるかな?」と尋ねると「ウン万円ぐらいじゃないですか」と、かなりの低額回答。その言葉に従い、適当な金額で入札したら、翌日、「ナバタさん、オメガ落ちましたよ」と告げられたのだった。
「新品仕上げしますか?」と彼は聞いてくれたが、「いや、そのまんまでいいよ」と受け取り、私は翌日、ビエンヌのオメガ本社取材に向かった。そしてミュージアム取材の際、館長やスタッフに『センテナリー』を見せたところ、「どこで買ったの?」と質問攻めに。そこで入手のいきさつと落札価格を話すと、「えっ! その値段? 普通なら4倍以上はするよ」と驚かれた。その時、オメガのスタッフが口にした価格は数十万円ほどだったが、今やその数倍はするはず。というあたりで落札価格を想像していただきたい。
ちなみに垢が詰まったブレスレットは帰国後、時計からはずしてアルコールやアセトン(ほとんどの油脂を溶かす強力な溶剤)に漬けて徹底的に洗浄し、どうにか使えるようにした。
スイス公認クロノメーター検定で技術を誇示したオメガの凄み
『センテナリー』の搭載ムーブメントはCal.333。これは1943年に登場したオメガ初の自動巻ムーブメント「Cal.330」の公認クロノメーター・バージョンだ。
巻き上げは、いわゆるハーフローター式。時計を手で振ると、全回転しないローターがスプリングのバンパーに当たって「ビヨヨ~ン」という感触が伝わるのがおもしろい。
しかし1943年に初の自動巻きを開発したというのは、1922~25年にハーウッドが自動巻き腕時計を開発し、1931年にロレックスの『パーペチュアル』が登場していることを考えると、いかにも遅い。だが、その分オメガの自動巻きは完成度が高く、巻き上げ効率と耐久性に優れていたようだ。事実、1955年に全回転自動巻きの「Cal.470」(これはクロノメーターではない)が登場するまで、12年もハーフローターがオメガにおける自動巻き機構の主流であったことが、それを証明している。
ただ、優れた性能は理解できるがマニア的には残念な部分がある。それはスモールセコンドが文字盤中央に寄っていること。「Cal.333」の直径は30.1mmだが、巻き上げローターのリムの内側に輪列機構を収めているため、実際のムーブメントは30mmよりも小さくせざるを得ない。そこでスモールセコンドが内側に寄ってしまうのだ。
やがて創業百周年記念の『センテナリー』を皮切りに、オメガの最上級機種として『オートマチック・クロノメーター』がスタート。『センテナリー』のダイアルにも、その表記がある。さらに1952年、これが発展し、全製品公認クロノメーターの『コンステレーション』(星座)と名付けられたコレクションがスタート。これはすでに紹介した通り。
その搭載ムーブメントは当初、『オートマチッククロノメーター』を継承するハーフローターだったが、1957年に全回転式に進化した「Cal.505」が登場。石数も「Cal.300」番台は17石だったが、「Cal.505」から24石となり、素材、デザイン、精度、石数など、すべての面において市販腕時計クロノメーターの頂点に立ったのである。
それは公式クロノメーターの合格数からも読み解くことができる。手元の資料を見ると、1960年のBOによるクロノメーター検定合格数はスイス全体で107,541個だったが、オメガは52,998個で49%を占有。1963年にはなんと61%がオメガであった。これに迫るのがロレックス。1960年、ロレックスは全体の34%を占め、1963年は26%。1970年にはオメガを越え44%となった(この年、オメガは38%)。
もちろん、これだけで技術を比較することはできないが、オメガとロレックスがスイスの公認クロノメーターを二分していたことは事実である。
またさらに、オメガは1965年に10万個のコンステレーションが通し番号でBO検定に合格する記録を樹立。ここからオメガの技術が総合的に高いレベルであったことが理解できる。
私がオメガに魅力を感じるのは、実はこの部分。一般人でも入手できる価格で高精度かつ良質な時計を供給した点に、オメガというメーカーの凄みがあると考えている。そして、そのひとつのシンボルが1948年の『センテナリー』なのである。
writer
名畑政治
1959年、東京生まれ。'80年代半ばからフリーライターとして活動を開始。'90年代に入り、時計、カメラ、ファッションなどのジャンルで男性誌等で取材・執筆。'94年から毎年、スイス時計フェア取材を継続。現在は時計専門ウェブマガジン『Gressive』編集長を務めている。