【OMEGA】宇宙と海底探査を征する革新の170年

2024.10.05
Written by 土田貴史

効率的な生産方式の可能性を見出す

オメガのはじまりは、あるひとりのスイス時計職人の情熱と精緻な技術にあった。

1848年、わずか23歳のルイ・ブランが、スイスのラ・ショー・ド・フォンで小さな時計工房を開いた。当時、スイスの時計産業は手作業による分業生産が主流だったが、ブランは効率的な生産方式の可能性を見出していた。彼の先見性は、やがて時計製造に革命をもたらすことになる。

ルイ・ブラン父子会社へと発展したその小さな工房は、新時代のマニュファクチュールへと進化していく。1894年、ブラン兄弟は革新的な19 ligne caliberムーブメントを開発。その精度と信頼性で時計業界に衝撃を与え、これが後の「オメガ」というブランド名の由来となった。ギリシャ語アルファベットの最後の文字である“オメガ”は、完成度の高さの象徴であり、このムーブメントは時計製造の新たな頂点を意味していた。

オメガの革新は、途切れることなく続く。1900年のパリ万国博覧会でグランプリを受賞し、その名は世界に知られるようになった。さらに、オメガは天文台コンクールにおいて数々の優秀な成績を収めていく。この精度への飽くなき追求は、後に「コンステレーション」シリーズとして結実し、最高峰の精度を誇る時計として世界中の時計愛好家を魅了することとなる。

技術の頂点を目指して。オリンピックから月面までの挑戦の軌跡

1932年、オメガはロサンゼルスオリンピックの公式計時を担当。これは、オメガにとって栄誉であると同時に、大きな挑戦でもあった。30個のクロノグラフを携え、大西洋を渡り、全競技の計時を担ったのである。以来、オメガは90年以上にわたり、オリンピックの舞台で人類の限界への挑戦と向き合い、ついに1000分の1秒の精度で記録を刻むまでに至る。選手たちの汗と涙、歓喜と失望――オメガはそのすべてに寄り添い、オリンピックの歴史と共に歩んできた。

一方で、技術革新の歩みは、1940年代の「バンパー」自動巻きムーブメントの開発でさらに加速する。この革新的な機構は、腕の動きを効率的にぜんまいのエネルギーに変換し、手巻き時計の不便さを解消した。これにより、オメガは自動巻き時計の先駆者としての地位を確立する。

1948年、オメガは「シーマスター」を発表した。この時計は、第二次世界大戦中に英国海軍に供給された防水時計の技術を、民生用に応用したものだった。高い防水性と信頼性を兼ね備えたシーマスターは、スポーツウォッチの新たな基準を打ち立てた。

1957年、オメガは「プロフェッショナル」シリーズを立ち上げ、3つの画期的なモデルを同時に発表した。「シーマスター300」はプロダイバーのニーズに応える高性能防水時計、「レイルマスター」は強力な磁場に耐える耐磁時計、そして「スピードマスター」はレーシングドライバーのためのクロノグラフだった。特に「スピードマスター」は、後に宇宙開発の歴史に大きな足跡を残すことになる。

人類が月面に降り立った、その瞬間とともにあった時計

1962年、人類初の地球周回軌道飛行という歴史的偉業を成し遂げたマーキュリー計画。その宇宙飛行士ウォルター・シーラが、自身のスピードマスターを着用していたことは、後に語り継がれることになる逸話である。これを機に、NASAは宇宙飛行士用の腕時計の正式な選定プロセスを開始した。1964年、NASAのドナルド・スレイトン飛行士長は、有人宇宙飛行計画に使用する腕時計の厳格な選定テストを実施することを決定。オメガを含む4社がNASAのリクエストに応じ、各社のクロノグラフが過酷なテストに供された。

これらの時計は、宇宙空間で遭遇する極限状況を想定した一連の過酷な試験にかけられた。高温、低温、湿度、気圧、耐衝撃性、加速度、振動など、11項目にわたる厳しいテストが実施されたのだ。例えば、温度テストでは華氏0度(摂氏マイナス18度)から200度(約93度)までの激しい温度変化にさらされ、衝撃テストでは40Gもの強烈な負荷が与えられた。

これらの試験の結果、唯一、すべてのテストで生き残ったのが、オメガのスピードマスターだった。そして1965年3月1日、NASAはスピードマスターを公式に認定。「操作性に優れ、高い信頼性を持つ唯一の腕時計」として、全てのアメリカの有人宇宙飛行計画での使用を承認したのである。

この厳しい選定プロセスを経て、スピードマスターは宇宙空間という未知の領域に人類と共に旅立つ準備を整えた。そして4年後、人類が初めて月面に降り立つという歴史的瞬間に立ち会うことになるのである。1969年7月21日、ニール・アームストロングとバズ・オルドリンが、スピードマスターを着用して月面に降り立ち、この時計は「ムーンウォッチ」として不朽の名声を得ることとなった。

時計の精度と耐久性をさらなる高みへと推し進めたオメガの近年

オメガの挑戦は地上でも続いた。1970年代には、クオーツ革命の波に乗り、オメガもクオーツ時計の開発・製造を推進。1974年には「マリン クロノメーター」で、クオーツ時計として初めてスイス公式クロノメーター認証を取得している。

しかし、1970年代後半から1980年代にかけて、安価な日本製クオーツ時計の台頭により、スイス時計産業全体が危機に直面。オメガも例外ではなかった。この危機を乗り越えるため、オメガは伝統的な機械式時計作りの技術を守りつつ、新たな革新を追求し続けた。

1990年代に入ると、オメガは機械式時計の復権に向けて動き出す。1999年、ついにオメガは時計業界に革命を起こす「コーアクシャル脱進機」の製品化に成功。この機構は、従来の脱進機と比較して摩擦を大幅に低減し、精度と耐久性を飛躍的に向上させたのだ。約250年ぶりとなる時計機構の中枢部における発明は、機械式時計の復権を象徴する出来事となったのである。

21世紀に入り、オメガの技術革新はさらに加速する。2013年には、非磁性材料を使用した「シーマスター アクアテラ  15,000ガウス」を発表。従来の耐磁時計を遥かに凌ぐ性能を実現し、日常生活で遭遇するあらゆる磁場から時計を守ることに成功した。

2015年には、スイス連邦計量局(METAS)と共同で、新しい時計認証規格「マスタークロノメーター」を確立。この認証は、精度、耐磁性、防水性など、時計の性能を総合的に保証するもので、オメガはこの厳格な基準を満たす時計の量産に成功している。

環境保護と伝統技術の調和を目指した、未来への視線

オメガは、環境保護と持続可能性にも積極的に取り組んでいる。例えば、2019年に完成した新本社ビルは、太陽光発電や雨水利用など最新の環境技術を導入しているのだ。さらに、海洋環境保護団体とのパートナーシップを通じた海洋生態系の保全活動や、ブランドアンバサダーを通じた若手アスリートの育成支援など、社会貢献活動にも力を注いでいる。

170年以上の歴史を通じて、オメガは「最高の時計を作り続ける」という創業者の理念を忠実に守り続けてきた。この揺るぎない姿勢こそが、オメガを世界で最も尊敬される高級時計ブランドのひとつに押し上げている。時代が変わろうともオメガの革新への情熱は決して衰えることはない。宇宙を目指し、海底を探り、そして日常のあらゆる瞬間で、オメガは計時技術の最前線に立ち続けている。その精神は、これからも時代を超えて受け継がれていくだろう。

writer

土田貴史

土田貴史

ワールドフォトプレス『世界の腕時計』編集部でキャリアをスタート。『MEN’S CLUB』『Goods Press』などを経て、2009年に独立。編集・ライター歴およそ30年。好きが高じて、日本ソムリエ協会の「SAKE DIPLOMA」資格を保有。趣味はもちろん、日本酒を嗜むこと。経年変化により熟成酒が円熟味を増すように、アンティークウオッチにもかけがえのない趣があると思っている。「TYPE 96」のような普遍のデザインが好きだが、スポーツROLEXや、OMEGA、BREITLINGといった王道アイテムも、もちろん大好き。

記事を読む

ranking