H.モーザーの初期腕時計は、紆余曲折を経て入手した

2023.09.03

文=名畑政治

使用した形跡のないデッドストック状態で入手した20世紀初頭に制作されたと思しきH.モーザーの腕時計。エナメル製ダイアルにはヒビや割れもない。装着しているストラップは東京のとあるアンティーク時計店が制作したもの。なかなか似合っているが、できればもうちょっとゴージャスなストラップを作って交換しようと考えている

時計ムックの取材で知ったハイクオリティなH.モーザー製腕時計

 H.モーザーといえば、現在では復活した高級ブランドのことを知っている人のほうが多いかと思う。だが、実はH.モーザーには長くて深い歴史がある。それを私が知るきっかけとなったのは、1995年に大型時計ムックである時計コレクターへ取材したことだった。

 その紳士は前衛的デザインで知られたファッショナブルな現行モデルの他に、何本かのアンティーク・ウォッチを所有していたが、そのコレクションの中に20世紀初頭に作られたと思われる1本のH.モーザーがあった。

 それは懐中時計から腕時計への過渡期に作られ小振りなラウンドのケースに細いワイヤー・ラグを溶接したもの。その華奢な風情がなんとも優雅で、私はこんなモデルをいつか手に入れたいと考えたのだった。

 その後、東京平和島の骨董市でH.モーザーの古い懐中時計クロノグラフを見つけたことがあった。現代のH.モーザーの紹介でもわかるように、かつてH.モーザーの創業者であるハインリッヒ・モーザーはスイスからロシアのサンクトペテルブルクに向かい、そこで起業して大成功。ロシアから極東地域までをも席巻した。その証拠ともいうべき懐中時計クロノグラフの中蓋には、ロシア語で言葉が刻まれていたが、買うべきか買わざるべきか悩んでいるうち、他の人に買われてしまった。なんであの時、即決できなかったのか、それは今考えても悔しいのである。

 その苦い経験から数年後の1999年の春、ネットでアンティーク時計を検索していたところ、何度か行ったことのあるバーゼルのアンティーク時計店のサイトに、かつて時計コレクターの取材時に見たような20世紀初頭のH.モーザーが紹介されているのを発見。

 解説には「ムーブメントの仕上げが素晴らしい」とある。ところがサイトには肝心のムーブメントの写真が掲載されていないのだ。そこで早速店主に「ムーブメントを見たいので写真を送ってくれ」とメールを送った。すると返事が届き、「わかった。ただ、今は忙しいので、少し待ってほしい」とのこと。

 しかし、店主からの写真は、いくら待っても送られてこないし、サイトにも掲載されない。これでは購入を決断できないし、「素晴らしい」との評価だけを信じて購入するほどの勇気もない。そうこしているうち、とある時計メーカーの現地取材が決まり、夏の終わりにスイスへ旅立つことになった。

スイス取材時に発見しついに我が物となったH.モーザー

 スイスに到着し、時計メーカー取材が終わった時、たまたま時間があいたのでレンタカーでラ・ショー・ド・フォンからニューシャテルをグルリと回るドライブにでかけた。そこでラ・ショー・ド・フォンの国際時計博物館の前にある馴染みのアンティーク時計店に寄ったところ、なんとバーゼルの時計店のサイトに掲載されていたのと同じH.モーザーが並んでいるではないか!

「このH.モーザーを見せてください」と店主に頼み、裏蓋を開けてもらったところ、確かに美しく仕上げられたムーブメントが収められている。しかも価格を聞いたところ、バーゼルの店の半額ぐらい。もう考えるまでもなく即決し、そのH.モーザーは私のものとなった。

 それがここで紹介するモデル。スモールセコンドが9時位置にあるのは、おそらく婦人用のペンダント・ウォッチのムーブメントを腕時計に流用したからだろう。その証拠に針合わせはリューズ引きではなく、リューズの上にあるピンを爪で押しながら行う「ダボ押し」という方式。ダイアルはエナメル(琺瑯)で割れもない。ケースはニッケル製で使用の痕跡は皆無。おそらく、どこかの時計店か問屋に保管されていたものが、ある程度の数まとまって出てきたのだろう。それをバーゼルの店やラ・ショー・ド・フォンの店が仕入れ、それぞれ販売していたといったところ。これはあくまでも私の推測だが、そう大きく間違ってはいないはずだ。

クロノスイス創業者ラング氏も唸った高級仕上げのムーブメント

 ラ・ショー・ド・フォンでこのH.モーザーを入手した後、私は単身、ミュンヘンに向かうこととなった。というのも日本を出発した時点では未定だったミュンヘンに拠点を構える時計メーカー「クロノスイス」の取材が決定し、急遽、私はひとりでスイスからミュンヘンへと移動することになったのだ。

 チューリヒから列車でミュンヘンに移動した私は、早速、郊外にあるクロノスイス本社を訪問。そこで当時の社主であり時計師でもあるゲルト・ラング氏と対面し、その晩は彼とマネージャーと共にミュンヘン郊外のイタリアンレストランで会食することになった。

 その食事の後、私は思いきってラング氏にラ・ショー・ド・フォンで手に入れたH.モーザーを見せることにした。するとラング氏はそれを手にするなり裏蓋を開け、ムーブメントを確認。その瞬間、彼はこう言った。「パテック・クォリティ!」と。

「クロノスイス」創業者ゲルト・R・ラング氏がひと目見て「パテック・クォリティ!」とつぶやいた高品質なムーブメントを搭載。それもそのはず、このムーブメントの製造元はジュウ渓谷に本社を構えるジャガー・ルクルトだと思われる

 確かにこのH.モーザーのムーブメントは高品質なものである。まあ、「パテック フィリップと同等」とはちょっと大袈裟だが、石数こそ少ないものの(多分15石?)高級時計が備えるべき、いくつかの条件を備えている。

 たとえば磨き抜かれたスチール製の緩急針とヒゲ持ち受け。古い高級な懐中時計などに見られる角穴車の逆回転を防止する板バネ。メッキのかかっていないジャーマンシルバー製の地板とブリッジ。優雅な曲線を描くブリッジには面取り加工が施され、現代のH.モーザーも継承する「モーザー・シール」が刻印されている。

角穴車を押さえるブリッジにはH.モーザー製品であることを示す「モーザー・シール」が刻印されている。この刻印は蘇った現代のH.モーザー製品にも刻み込まれている

 ただ、一点だけ満足できないところがある。それがやや幅の広いコート・ド・ジュネーブ(ジュネーブ・ストライプ)の方向がバラバラなこと。本来、ブリッジにコート・ド・ジュネーブを入れる場合、治具に組み上がった状態でセットし、一気に模様付けを行うのだが、ブリッジごとに方向がバラバラなのは、個別に模様を入れたか、加工の時期が異なる部品を寄せ集めて組み上げたからだろう。そう考えると未使用状態で市場に出回ったこのH.モーザーは、部品の状態でストックされたものを近年になって完成させたのかもしれない。

 ちなみに、このムーブメントはH.モーザーのオリジナルではなく、おそらくジャガー・ルクルト製だと思う。実際、20世紀初頭にH.モーザーはジャガー・ルクルトから何種類ものエボーシュを購入して製品に採用したという記録を見たことがある。であるならば、ラング氏が「パテック・クォリティ!」と唸ったのも当然。20世紀初頭の腕時計としては例外的に良質なムーブメントを搭載する逸品だと私は考えている。

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