国産初の高級機械式腕時計『ロードマーベル』物語 文=名畑政治 セイコー初の“頂点仕様商品” それが『ロードマーベル』だった
セイコーの『ロードマーベル』というモデルの存在をはっきりと認識したのは、多分、1995年ごろに『グランドセイコー』の取材で長野県諏訪市のセイコーエプソンを訪ねたときだったと思う。実はそれ以前から、母方の祖父の形見として譲り受けた『ロードマーベル』の最終型『ロードマーベル36000』を所有していたが、その原点となった『ロードマーベル』がどのように開発され、その後、セイコーにおいてどんなポジションに置かれていたのかを、セイコーエプソンの技術者から直に伺ったのが、この時だったのだ。
『ロードマーベル』が誕生したのは1958年(昭和33年)。開発したのは戦時中に第二精工舎の疎開工場として設立された第二精工舎諏訪工場である。
ちなみに、この諏訪工場は昭和17年に第二精工舎協力工場として設立された大和工業と1959年に一体化して諏訪精工舎として独立。これが現在のセイコーエプソンである。
大戦後、婦人用腕時計や戦後設計の新10型紳士用腕時計などを生産していた第二精工舎諏訪工場は、1950年(昭和25年)、本格的な中3針(センターセコンド)腕時計である『スーパー』を開発する。これは近代的なスタイルでヒットしたが、精度的には不満があった。そこで『スーパー』の地板径を拡大し、地板と受けの軸受の穴の位置のズレを補正し、歯車形状を修正して加工時の歪みを抑え強度を上げるなどの全面的な改良を加えて誕生したのが、1956年に開発された『マーベル』である。
『マーベル』は、従来製品とは比較にならないほど精度が高かったが、この素性の良いムーブメントをベースに、より高級なモデルを求めて開発された“頂点仕様商品”(実際に開発に携わった技術者が使った表現)が『ロードマーベル』であった。
この『ロードマーベル』は、17~21石の『マーベル』の石数を増やして23石にアップグレードし、ぜんまいの巻き上げを司る角穴車や丸穴車には幅広い溝を彫り込み鏡面仕上げして外観上も美しさを追求した。また、それまでのムーブメントにはなかったシリアル番号も刻印された。
もちろん、手をかけたのはムーブメントだけでなく、文字板も一級品を目指したものだった。「Seiko Load Marvel」というロゴは彫り込みによるもので、時刻の指標となるバーインデックスは金属製の小さな部品をひとつひとつ固定した植字仕上げになっている。
『グランドセイコー』に引き継がれた
『ロードマーベル』の高級化技法
このように高い精度と安定性を備え、通産省主催の技術コンクールで連続優勝を成し遂げた『マーベル』に、当時のセイコーの持てる技術のすべてを注ぎ込んだ『ロードマーベル』は、文字通り、その時点での国産腕時計の最高級モデルであった。
しかし、頂点仕様商品としての『ロードマーベル』は意外に短命だった。なぜなら1959年(昭和34年)には、『マーベル』の直径をさらに拡大し、より高い精度と安定性を獲得した「クラウン」が登場。さらに翌年の1960年(昭和35年)には『クラウン』をベースに、『ロードマーベル』で培った高級化の技法を応用し、新たな頂点仕様製品である『グランドセイコー』が発売されたから。
ところが、『グランドセイコー』登場後も『ロードマーベル』はセイコーの製品ラインナップから消えることがなかった。1961年に『クラウン』の上級バージョン『クラウン・スペシャル』が登場し、『グランドセイコー』>『クラウン・スペシャル』>『クラウン』という序列が完成するが、なんと『ロードマーベル』は新たに『クラウン』のムーブメントを搭載し、ノーマルな『クラウン』と上位の『クラウン・スペシャル』の間に位置する商品としてラインナップに残り続けたのである。
しかも、ベースとなった『クラウン』が生産終了した後も、『ロードマーベル』は連綿と生産され続け、1967年(昭和42年)には国産初の10振動/秒(36000振動/時)のハイビート・モデルに進化。これはクォーツが普及し始めた1978年頃まで生産されたのだから驚くほかはない。
結局、『ロードマーベル』は1958年に誕生してムーブメントの変更やケース径の拡大、文字板デザインの修正など、モデルチェンジを何度も重ね、最終的にはハイビート化までされて、およそ20年もの長きに渡って生産され続けた長寿命モデルとなった。
もちろん、途中でムーブメントが変わっているので厳密には同じモデルが作り続けられたとは言えないだろう。しかし、新たな頂点仕様商品が登場し、ムーブメントまで変更されてもなお『ロードマーベル』という名称を残し続けたところに、あの時代の諏訪精工舎の人々の、このモデルに対する愛情の深さを感じ、密かに胸が熱くなるのである。
writer
名畑政治
1959年、東京生まれ。'80年代半ばからフリーライターとして活動を開始。'90年代に入り、時計、カメラ、ファッションなどのジャンルで男性誌等で取材・執筆。'94年から毎年、スイス時計フェア取材を継続。現在は時計専門ウェブマガジン『Gressive』編集長を務めている。