シチズン精神を具現化した高級機シチズン『クロノマスター』
文=名畑政治
30年以上の時を経てスイスで再会した“幻の時計”
懐中時計の国産化を目指して1918年(大正7年)に創業した「尚工舎時計研究所」を前身とする「シチズン」。「市民に親しまれるように」との思いから「シチズン(市民)」と命名されたというが、その名の通り、シチズンの製品には手頃な価格のモデルが多いという印象がある。ただ、その中にあってスイスと肩を並べ、それを超える精度を追求したモデルがある。その代名詞が1962年に発売されたシチズン『クロノメーター』だ。
このモデルは、シチズン初の「スイスクロノメーター優秀級」合格製品であり、このモデルのために新設計された大型ムーブメント「Cal.0400」を搭載し、地板やブリッジの仕上げも、シンプルながら当時のシチズンが持てる力のすべてを注いだ素晴らしい加工が施されている。
時計マニアにとって憧れのシチズン『クロノメーター』だが、このモデルの影に隠れて目立たない、いわば“隠れた名機”が、1967年に発売されたシチズン『クロノマスター』(以下『クロノマスター』)である。
この『クロノマスター』に出会ったのは、今から40年近くも前。当時、通っていた大学近くの骨董店でだった。しかし、仕上げの良さにちょっと興味は持ったが、外観はごく普通のオヤジ時計。気になったものの購入には至らなかった。
その後、ライターとして仕事を始め、時計の世界を主軸とするに従って、『クロノマスター』が当時のシチズンの上位モデルであったことを知り、「なんだ、知ってれば買ったのに!」と歯噛みしたものの後の祭り。それから『クロノマスター』は、常に頭のどこかに張り付いて離れない“幻の時計”となった。
その“幻”と再会したのは、なんと日本じゃなくてスイス。今から15数年ほど前、スイスでの時計展示会取材後に立ち寄ったチューリヒのアンティークウォッチ屋なのだ。
その店はチューリヒ中央駅からかなり離れたチューリヒ湖のほとりにあるバスターミナルに面し、外から見えるショーケース一杯に雑多なアンティークウォッチがビッシリと並べられていた。その膨大な数の時計を眺めていたら、そこになんと『クロノマスター』がある! 「なんでチューリヒにシチズン?」と思ったが、とにかく見せてもらおうと店に入り、店主に声をかけて取り出してもらうと、ケースに擦り傷は多いものの、そんなに悪い状態ではなく、ゼンマイを巻くとちゃんと動き出した。値段を聞くと、意外にも安い(当たり前か?)。一も二もなく購入し、その後、行きつけの時計修理店に持ち込んで外装も含めて完璧な状態に戻して愛用している。
普及品の名機「ホーマー」を高精度化した身近な高級機
それにしてもシンプルな腕時計だ。手巻きの三針で日付表示は搭載しない素っ気ないほど簡素なモデル。しかし、この時計の文字盤6時位置と裏蓋にあしらわれた鷲のメダリオンが、この時計に何かただならない凄みを与えているように思う。
それも当然、この鷲のシンボルは、すでに紹介したが、シチズンが1962年に発売した「シチズン クロノメーター」から引き継がれたもの。ただ、『クロノメーター』と命名したものの、スイスのクロノメーター検定機関の公式な認定を受けていないため『クロノメーター』と名乗ることができず、その後に開発された高精度モデルは、新たに『クロノマスター』という名称で販売されたのだった。
搭載ムーブメントは、日付なしのモデルは手巻きの普及品『ホーマー』のムーブメント「Cal.020」をベースに高度な調整を施してスイスクロノメーターに匹敵するレベルの高い精度を実現した「Cal.092」。この「普及品がベース」という点にシチズンらしさがにじみ出ているように思う。
そして、この『クロノマスター』は、2010年、久々に新規開発の機械式自動巻きムーブメント「Cal.0910」を搭載して登場した『ザ・シチズン オートマティック』のルーツとなった。この『ザ・シチズン オートマティック』はシースルーバック仕様なので裏蓋がサファイアガラスだが、通常のクオーツを搭載する『ザ・シチズン』の裏蓋には、『クロノメーター』~『クロノマスター』と継承された鷲のメダリオンが簡略化されながらも刻まれている。このことからも、シチズンが『クロノメーター』や『クロノマスター』に込めた熱い思いをうかがい知ることができる。
波乱万丈。今も生き続ける「ホーマー」の系譜
さらに面白いのは1960年に発売され、手巻きの名機と呼ばれた『ホーマー(Cal.020)』の物語だ。この『ホーマー』については、かつてその開発担当者を取材したことがあるが、彼によれば『ホーマー』は自動組立のために開発された最初の機種であるという。そのためムーブメントの構成も極力シンプルに作られたそうだ。そしてシチズンは、このシンプルで安定した性能を発揮するムーブメントをベースにデイト(日付)やデイデイト(曜日と日付)を付加して派生モデルを開発。その過程で渾身の名作『クロノメーター』の精神を継承し、普及ムーブメントをベースに高精度化して生まれたのが『クロノマスター』なのである。
その上、『ホーマー』は1962年にインドの国営企業「HMT(ヒンドスタン・マシン・ツールズ)」に技術供与され、現地での生産を開始。同社は今でも『ホーマー』をベースとする腕時計を作り続け、これは日本にも輸入されている。
本国生産が終了しても技術供与した他国で生産が続いたなんて、ドイツのフォルクスワーゲン『ビートル(Type 1)』がメキシコやブラジルで生産され続けたことにそっくり。
ちなみに『ビートル』のメキシコでの生産は2003年に終了したというから、『ホーマー』はそれ以上に息の長いモデルということになる。
派手さはないが高い品質を維持しつつ多くの派生モデルを生み出し、今も連綿と作り続けられる『ホーマー』と、これをベースとする『クロノマスター』は、その価値をもっともっと高く評価してあげてもいいと思うのだが、どうだろうか?
参考図書/『国産腕時計④ シチズン ホーマー』(岡田一夫著 トンボ出版)
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writer
名畑政治
1959年、東京生まれ。'80年代半ばからフリーライターとして活動を開始。'90年代に入り、時計、カメラ、ファッションなどのジャンルで男性誌等で取材・執筆。'94年から毎年、スイス時計フェア取材を継続。現在は時計専門ウェブマガジン『Gressive』編集長を務めている。