オメガ『ランチェロ』路上で見つけた宝物

2022.08.03
Written by 名畑政治

1958年に発売された「オメガ/ランチェロ」は、主に南米市場向けに開発されたモデルとのこと。オメガの名機と呼ばれる30mmキャリバーを搭載した「シーマスター/30mmコレクション」の派生モデルと考えられるが、当時の評判は芳しくなかったらしい。

道端で時計を売る謎のガイジン?

 オメガのランチェロを入手したのはまったくの偶然だった。1990年代初頭のある日、表参道を歩いていたら、どこかで見たことのある外国人男性が道端に小さな板を置き、そこに腕時計を並べて売っているのを発見した。

 なぜ、その外国人に見覚えがあったかといえば、当時、都内のアンティーク時計店を巡回していた時、中央線沿線の某店に時計を持ち込んで売っていた彼を見たことがあったからだ。

 その謎の外国人が、なんと原宿の路上で時計を売っている。見れば板の上には見たことのないブラック・ダイアルのオメガがあるじゃないか。手に取ってみると文字盤に「Ranchero」の文字。なんだコレ? 「30mm」というのは、オメガが生んだ名作ムーブメント「30mmキャリバー」を搭載しているという意味だ。しかも、なかなか程度が良い。値段を聞くと、路上店にしてはちょいと高めだったので、とりあえず「ディスカウント!」と言ってみた。すると、彼に「その先のハナエモリビル(※1)のアンティーク時計屋だったら、この3倍はするよ」と反論されてしまった。

 確かにね。とはいえ、いきなり路上で出会った時計に払う金額としては少々、お高め。そこで即決を避け、「ちょっと考える」と、その日は買わずに帰ることにした。

 しかし、やっぱり気になる。すると、翌日もまた原宿に用事があり、表参道を歩いていくと、昨日と同じ場所に同じ外国人が店を広げているのが見えた。

 近づいていくと、彼はそれまで話していた日本人のお兄さんに「悪いけど、僕の古い顧客が来たんだ」と会話を打ち切ってしまった。いやいや、私とあなたも昨日会ったばかりなんですけどね…。そして彼は私にこう言った。「きっと来ると思っていたよ」。

 彼はすぐに、しまってあった「ランチェロ」を取り出した。これにはもはや完敗。私は「わかった、買うよ」と白旗を上げ、彼の言い値で購入したのであった。

オメガらしい赤金メッキ仕様の「Cal.267」を搭載。ブリッジ(受け)のレイアウトはシンプルかつ合理的で生産性の高さがうかがえる。だがムーブメント径に比べて大型のテンワが、高精度化を目指して開発されたことを物語っている。クロノメーター仕様ではないのでスワンネックなど緩急針の微調整装置は装備せず、角穴車や丸穴車の装飾も簡素だ。

 その値段は今の東京郊外の単身者用アパート1か月分の家賃ぐらいだろうか。当時の私にとっては相応の出費だったが、今となってはかなりの希少モデルだから、結果的に買ってよかったわけである。

意外にも不人気の短命モデルだった

 それにしても、この「ランチェロ」。名前が意味不明。そして、デザインは1957年に登場した「レイルマスター」に酷似している。一体、どんな理由で作られたのか?

 私が1998年に編集・執筆した「オメガブック」(徳間書店)の取材時に、スイス・ビエンヌのオメガ本社で入手した資料には「1950年代に南米市場向けに製造された」としか説明がなかった。そこで今回、手元にある最大・最厚(なんと総ページ数831! 厚さ64mm)のオメガの歴史本「OMEGA A JOURNEY THROUGH TIME(オメガ 時間の旅)」を調べたところ、もう少し詳しい解説があったので、それを紹介しよう。

“ランチェロ 1958年と1976年 1957年の「レイルマスター」、「シーマスター 300」、「スピードマスター」の黒文字盤とアローヘッド針からインスピレーションを得ています。 1958年に発売された最初の「ランチェロ」は、30mmコレクションの中で最も価格競争力のあるモデルでした。 残念ながら、「ランチェロ」(スペイン語で「牧場主・農場主」の意味)はスペイン語圏の国々で評判が悪く、コレクションはすぐに中止されました。これが、その相対的な希少性と、その結果として中古市場での高価格の理由となります。”(和訳は筆者)

 しかも、面白いことに不人気だった「ランチェロ」は、製造中止の18年後に復活を遂げたという。それは1976年、ベルギー・ブリュッセルのオメガ正規代理店「ウルティモ」の別注で「シーマスター」シリーズ販売の刺激となる安価なモデルとして発売されたのだ。この「OMEGA A JOURNEY THROUGH TIME」には、1976年にベルギーで販売された復活版「ランチェロ」の写真も掲載されているが、ケース形状もダイアルも針もまるで別物。オリジナル(原型)ほどの魅力は感じられない。

マットブラックのダイアルに3・9・12の飛び数字、クサビ型夜光入りインデックスという同時代の「レイルマスター」などと共通するデザイン。初代は大型のアロー針が付いていたらしいが、私の所蔵品は通常のドルフィン針。しかし、この時代のダイアルのプリントは今のものに比べて格段に味がある。その理由は経年変化だけではないはずだ。

 しかし考えてみれば初代「ランチェロ」も復活版「ランチェロ」も低価格モデルとして市場開拓を目的に作られたものの、見事にスベった不運なモデル。それが逆に今の人気や価格の高さにつながっているのだから皮肉なものだ。

 また、「OMEGA A JOURNEY THROUGH TIME」には1950年代「ランチェロ」のホワイト・ダイアルで20ミクロン金張りケースのモデルも紹介されている。実はこのホワイト・モデルにはステンレス・バージョンもあり、それを入手できなかったことが、実は今も心残りなのである。

※1:ハナエモリビルとは、ファッションデザイナー森英恵さんのブランド「HANAE MORI(ハナエモリ)」が本社を置いていた、表参道の青山通り近くにあったビル。1978年の竣工当初から、地階が「アンティークマーケット」として多くのアンティーク・骨董屋さんが並んでいた。その中にはパリを思わせる(?)アールデコ調のタイル張り内装(横尾忠則さんが手掛けたらしい)が素敵な「カフェ猫」もあって、アンティーク探しの合間に良く休憩したものだった。このビルは現在、取り壊され、「オーク表参道」が新たに建設されている。

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名畑政治

名畑政治

1959年、東京生まれ。'80年代半ばからフリーライターとして活動を開始。'90年代に入り、時計、カメラ、ファッションなどのジャンルで男性誌等で取材・執筆。'94年から毎年、スイス時計フェア取材を継続。現在は時計専門ウェブマガジン『Gressive』編集長を務めている。

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